Twinkle ツインクル[タックルハウス]

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名品ルアー誕生秘話 Twinkle ツインクル タックルハウス

名品ルアー誕生秘話 Twinkle

1981年9月、現在のトラウトルアーフィッシングを語る上で、決して外すことのできない一つのミノーが誕生した。その名は「Twinkle(ツインクル)」。発売当初は湖の大型トラウト用ながら、その後渓流ミノーイングのブーム到来と共に絶大なる地位を確立。発売開始から30年が経過した今なお多くのファンから愛されているエポックメイキング的な名品である。今回は同社の渋木英一社長とルアーデザイナーの高橋正之氏にその開発裏話を語ってもらった。

誰でも簡単に手に入るミノーを

タックルハウス 渋木英一社長
タックルハウス社の渋木英一社長。彼の手 によって初代ツインクルは誕生した。

「とにかく誰でも手軽に購入できる国産のミノーを作りたい。それが出発点でした。その当時はミノーと言えば外国産で、ラパラ、レッドフィン、ボーマーロングAとかそれぐらい。ハンドメイドで製作していた人はいましたけど、値段も高価だった。誰もが遊べる感じではなかったですね」

1981年9月、タックルハウス社創業から遅れること半年、同社初の製品として販売されたのがツインクルだった。サイズは130mm、105m、90mmの3種類、カラーは全9色での展開だった。
渋木氏が言うように、この時代ミノーと言えば、外国産の輸入品に限られていた。トラウトではラパラが圧倒的な人気を誇っていたが、国産で市販されていた量産型ミノーはほぼ皆無。また、湖のミノーイングブームに伴って、ムラセミノー、リベット、ウッドベイト、ハンクルなどの名品が次々と生まれていたが、これらはとても高価で、購入できる場所も一部のショップに限られていた。現在のように、ショップに行けばトラウト用のミノーが簡単に買える時代ではなかったのである。

ツインクル誕生秘話 湖釣りイメージ画像
発売当初は湖モデルのみ。渓流用が加わるのは1992年のこと。

そこに彗星のように現れたのが、このツインクルだった。前述のラインアップを見れば分かるように、発売当初は湖の大型トラウト専用モデルで、渓流用の60mmが発売されるのは、それから十年以上の月日が経過した1992年のことである。

「その頃はミノーと言えば湖だったですね。『トラウトルアー=湖』でした。芦ノ湖や中禅寺湖で大きなブラウンを釣るのが大人気で、ちょうど本栖湖のモンスターブラウンが話題になったのもこの頃です。そんな楽しい釣りを、できるだけ多くの人に楽しんでもらいたい。そのためにも、簡単に手に入れられるミノーがどうしても必要だったんです。ただ開発は簡単にはいかなかったですね。実際に試作品を作ってからは約1年半、構想も入れると5年ぐらい掛かりました」

後発ならではの「個性」を出すこと

ツインクル開発メモ
ツインクルの開発に際して渋木氏が当時の市販ミノーを徹底的に調べた時のメモ。特徴が事細かに記されている。
ツインクル初期モデルの設計図
ツインクル初期モデルの設計図。発売当初は130mm、105mm、90mmの3サイズ、9色での展開だった

ツインクルの開発のために、まず渋木氏が行ったのは、市販されているミノーを徹底的に調べることだった。ラパラ、レッドフィン、ボーマーロングA、レーベルミノー、バグリーのバンゴー ミノー、ヘドンのタイガー、ムラセミノー……。これらのサイズ、ボディの幅と高さ、ウエイトの位置、リップの角度など、徹底的に分析した。更に、交遊があったムラセミノーの村瀬氏のところに出向き、数ヵ月に渡ってミノーの作り方を教えてもらった時期もあったというから驚きである。

「恥ずかしながら、ミノーを作るのはツインクルが初めてだったんですよね。だから調べたり、教えてもらうしかなかったんです。おかげである程度はできるようになったんですけど、本当の勝負はそこからでした。量産型とはいえ、皆さんが作っているものと同じタイプのものを作っても意味がないと思っていましたし、ツインクルならではの個性が欲しかった。それが何なのかを必死になって考えましたね」

試行錯誤の末、渋木氏が考案したのは、素材にバルサではなくウッドを採用したことだった。今でこそウッド製のルアーは珍しくないが、その当時はこちらも皆無だった。

「バルサ製のミノーだと、大物と渡り合う時に強度が弱い面もあったし、飛距離の面でも物足りない面がありました。それでミノーの動きを損なわずに、強度と飛距離を両立できる素材を探していった結果、ジェルトンというウッドに行き着いたんです」

ジェルトンは、キョウチクトウ科の広葉樹で、材質が軟らかいため彫刻などによく使われる素材である。比重は0.38~0.5とウッドの中ではバルサ(平均0.14~0.19)に近く、ミノーメイキングにはもってこいの素材だった。

「近所の東急ハンズに行って、こういうものに使いたいと言ったら、すぐにジェルトンが出てきたんですよね。バルサだと材質のバラツキが大きくて、比重も変動するので量産型には不向きだったんですが、ジェルトンならそんなこともないとのことで、即決しました」

現在では、アガチスと並んでウッドルアーには欠かすことができないジェルトンだが、始まりは意外と単純なものだったようだ。
次に渋木氏が考えたのがミノーのアクション。「キラキラと光って遠くの魚にもアピールしたい」という発想から、ウォブリング主体のアクションにローリングを入れることを決意した。

「ラパラがウォブリングだったから、それとは違うものをと思ったんですけど、アクションにローリングを入れると、お腹のところがキラキラと光ってちょうど明滅するようになるんですよね。これなら遠くの魚にもアピールできると思ったんです。ツインクルという名前も、そこから来ています」
更に、その“煌めき”を増幅するために、ボディにパーマークを施した。これもツインクルの発売以来変わらぬ大きな特徴である。

「とにかく現状のミノーにはない個性を出すことが最大の課題でした。でなければ、いくら国産と言っても、市販されているミノーには敵いませんから。それとこれは個性と言えるかどうかは分かりませんけど、あまりベイトフィッシュに似せたくなかったんですよね。どこかに人間の作ったものだという愚かさが欲しかった。人間の作った玩具みたいなルアーで魚を騙すからこそ面白いという部分もあると思うんです」

フィールドテストの苦心談と発売が遅れた訳

イワナ 岩魚 いわな ツインクル
過去の本誌に掲載された大物。岐阜県の高原川支流で釣れた大イワナ。
やまめ 山女 ヤマメ ツインクル 釣果
栃木県の箒川で秋に釣れた雄ヤマメ。ツインクルは渓流から準本流で圧倒的な釣果を誇った。

かくして、素材やコンセプトは決まったものの、発売にこぎつけるまでにはかなりの時間を要した。
いくつもの試作品を持参し、フィールドに通ってテストしては、再度作り直すという作業を、約1年半から2年もの間繰り返した。作った型はおそらく数百個にも及ぶというから驚きである。

「やっぱり一番苦労したのは、ミノーの形ですね。ローリングを強く出すためにはどうすればいいか、飛行姿勢を安定させるためにはどうするか、これには随分と悩みました。村瀬さんからアドバイスをもらって、だいたいの形はできていたんだけど、なかなか自分の思うところまで詰まらなかった。リップの大きさや角度にも苦労しました」

フィールドテストは主に芦ノ湖で行われたようだが、その当時は今では考えられないような悩みもあったと言う。

「魚影が濃くて釣れすぎちゃうんですよね。自分としては、グリグリだけじゃなくて、スローのただ巻きでも釣りたい、ローリングの強さがどのくらいだと遠くの魚にアピールできるのか、とか課題がいっぱいあるんだけど、何をやっても釣れちゃうんです。だから真夏とかコンディションの悪い時に行ったり、時々他の湖でも試したりしてね。あれこれやっているうちに、時間だけが過ぎていきました」

そして、これなら市場に出しても大丈夫という段階になって、渋木氏はタックルハウス社を創立する。1981年の4月のことである。ただし、ツインクルの発売には、最後のトラップが待ち構えていた。

「500個くらい作ったんだけど、全部ダメになっちゃたんですよ。塗りの問題なんだけど、ボディの表面に小さな気泡が浮かんじゃってね。国産ミノーということで、カラーリングにも和紙の色を使ったり、随分と凝っていたので、それも台無しでした。それで発売が創業から半年ほど遅れたんです」

かくして、国産の量産型ミノーとして登場した「ツインクル」は、その煌めく個性を武器に、アングラーの心を瞬く間に掴んでいった。「ハンドメイドを置いているお店中心に卸したんですけど、売れましたね。1ヵ月に400個ぐらい注文がきて、パートさんもフル稼働でツインクルを生産しました。これでようやく飯が食えると思いました」

進化するミノー

ツインクル 名品ルアー誕生秘話 S&F
リップが現行の「S&F」リップに変わると、ようやくツインクルは完成した。

ここまでがツインクル開発への裏話なのだが、このミノーの場合には、その後の話も必要だろう。なぜならこのミノーは、発売後数回に渡ってモデルチェンジし、その度に進化していったからだ。
また、最近の読者諸氏にとっては、いかにしてツインクルが今のモデルに近付いていったのか、そしていつ頃から元祖トゥイッチングミノーとも言うべき、その確固たる地位を確立したのか、興味は尽きないところである。
ちなみに、ツインクルは現在のモデルに落ち着くまで、実に4回(細かくは5回)のモデルチェンジを行っている。下の写真を見ながら読み進めて欲しいのだが、1stモデルの前期から後期にかけて、アイの位置が若干上に上がった。

「そもそもツインクルはどちらかと言えば、水面をヨタヨタとスローで泳ぐイメージだったんですけど、芦ノ湖でファストリトリーブで使う人も出てきたんです。そこでアイの位置を上にして下向きにし、動きを抑えることで対応したというわけです」

1stから2ndモデルになると、ルアーのヘッドとテイルがスリムになり、アイが縦から横になっている。これもユーザーからの声を受けて、より使用感を向上すべく対応した結果だった。

「この頃は湖でミノーをスライドさせて釣るのが有効になってきたんです。人が増えて多少魚もスレてきたんでしょうね。そこでイレギュラーにスライドしやすいように横アイにしました。それとより遠くに飛ばすために、空気抵抗を考えてシルエットも変更したんです」

更に、2ndから3rdモデルになると、リップ以外は現行のツインクルにかなり近付いてくる。ミノーのヘッドが更に絞られ、ヘッドからバックにかけてなだらかな曲線を描くシルエットに変更された。

「飛距離を更に延ばしたいという部分と、ツインクルの持っている煌めき感を増幅させたかったんですよね。ヘッドがスリムなほうが水の馴染みが良くて、ローリングアクションやロッドワーク時のスライドもきれいにするんです」

そして、3rdから4thモデルになってようやく現行のツインクルになるのだが、この時の大きな変更点はリップの形と大きさ。「S(スロー)&F(ファスト)リップ」という独自なものが装着された。

「リップを変えたのは、スローで泳ぎ出しが早く、ファストリトリーブでも小刻みにアクションさせたかったんですよね。ボディはこれ以上できないぐらい絞っていましたから、残るはリップでした。そこでいろいろ試してみて、これが一番良かったんです。この時からリップも中に入れて、先付けにしました」

こうして、計4回ものモデルチェンジをした後に、4代目として現行のツインクルが完成した。これだけモデルチェンジしたミノーも、なかなかないだろう。

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「これはタックルハウスという会社のポリシーでもあるんですけど、ルアーはフィールドで使う人たちの意見に合わせて絶えず進化していくものだと思うんです。ツインクルもそれに合わせて進化させました。それが誰でも手軽に使える量産型の宿命だとも思いますし……。と言えば体裁はいいですけど、ツインクルは自分にとって初めてのルアーだったから、拙い部分を徐々に改良していったという測面もあるんですけどね」
誰でも簡単に購入できてミノーイングを楽しむこと。渋木氏が開発当初に立てた目標は、このツインクルで十分に達成されたと言って良いだろう。その後、多くの量産型ミノーが各メーカーから市販されたことが、それを如実に示している。

「湖」のツインクルから「渓流」のツインクルへ

twinkle タックルハウス 高橋正之さん
ツインクルの渓流用モデルを担当した高橋正之氏。ただ巻きではなくトゥイッチで誘うという概念を見事に昇華させた。

そして迎えた1992年、この年はツインクルが更なる進化を遂げた、記念すべき年である。渓流用の45mm、60mmが新たにラインアップに加わったのである。ここから開発の手は、渋木社長から本誌でもお馴染みの高橋正之氏のもとへと移る。

「ツインクルのタイトなデリカシーローリングアクション、煌めきをいかしてそれを渓流で上手く活用するためにはどうしたらいいか、ということをまず考えましたね」

この頃になると、トラウトアングラーたちの意識も「湖」だけではなく、「渓流」や「本流」へと徐々に拡散していく。渓流でもこの数年前ぐらいから、スプーンやスピナーの代わりにミノーを投げる人たちが増えていた。

「ツインクルは湖用と言っても、ウォブリング系の大きなアクションではなかったので、渓流の流れにも比較的強くて、ダウンサイジングするにも、それほど苦労はありませんでした。ただ、せっかく手掛けるからには、渓流用でも湖と同じようなツインクルの個性を出したいと考えていました。特に僕が思っていたのは、どちらかと言えば流れの影響で受動的な印象が強い渓流に、積極的なイメージを作りたかったんですよね。『釣れた』よりも『釣った』という感じですね。そこで当時はまだ少数派だったんですけど、ロッドワークを掛けた際のヒラ打ちやダートでその効果が発揮されるような要素をこのミノーに取り入れるようにしたんです」

ルアーメイキングは現場で行うもの、という渋木社長の意思は高橋氏にも受け継がれ、彼も試作品をテストする日が続いた。場所は実際の渓流でも行われたが、ホリデイロッヂ鹿留(現在のFISH ON! 鹿留)など流れの管理釣り場も多かった。なるべく多くの魚で、ルアーに対する反応が見たかったのだ。実際の渓流だと、白泡などがブラインドになるため、なかなか魚の反応を目視することができない。

「ただ巻いて引いて来るより、ロッドワークを入れたほうが魚の反応がいいんですよね。それと活性の高い魚が横から飛び出して来て、ミノーを引ったくって行く。これかもしれないと思いました」

かくしてリリースされた渓流用のツインクルは、ゲーム性の高いミノーイングをアングラーたちの絶大な支持を受けることになる。当時の釣り雑誌にもその痕跡を見る事ができる。1993年に発売された月刊『Angling(廣済堂出版)』7月号では「流れのミノーイング」という特集が組まれ、その中では西村雅裕氏が、このツインクルをトゥイッチングを駆使して使う方法が紹介されている。

 

それから以降のことは、すでに今さら語るべきもないだろう。2年後に「ツインクルディープ45S」が発売されると、ツインクルは渓流ミノーイングの必須アイテムとして、不動の地位を確立することになる。

「今年(2011年)で創業30年を迎えたのと同時に、ツインクルも発売から30年を迎えました。こんなに長い間、愛され続けていることをとても光栄に思います。タックルハウスの歴史はある意味ウッドルアーの歴史でもあります。最近では、ペンシルタイプの『スリック』や重めの『ミュート』も加わりましたし、創業当初のツインクルを再構築するという意味もあって、『ツインクルレイク』もラインアップに加えました。また今後も新たなツインクルの構想もあり、タックルハウスの看板とも言うべきウッドルアーの世界を常に進化させ続けたいと思っています」

渋木氏はそう締めくくったが、ツインクルは常に進化しつつ、今後も煌めき続けるだろう。

Gijie2012春号に掲載

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