名品ルアー誕生秘話 D-CONTACT
今から10年(2013年掲載当時)ほど前、渓流ミノーと言えば、フローティングが主流だった。その時代にシンキング、しかもヘビーシンキングの必要性を世に問うたのが「D-コンタクト」。このミノーの出現で、その後の渓流ミノーの流れは大きく変わった。今回はその開発者である平本仁氏にその背景を聞いてみた。
ヘビーシンキングへの開眼
「そもそものきっかけは、『ウェイビー』を渓流で使ったこと。ユーザーからトラウトにいいという報告があって、最初はそれを試したような感じだったんだけど、本当にそうだった。僕の場合、渓流は餌釣りから始めてるので、釣り上がるスタイルがメインになるんだけど、フローティングの『パニッシュ』をアップストリームで投げると、なかなか上手く泳がせられないんだよね。でも、ウェイビーは違ったんだ」
1990年代の後半、渓流ミノーイングは大きな転換点を迎えようとしていた。東北のアングラーを中心に、シンキングミノーを渓流に使う人が増え、まだ少数派ながら、にわかに盛り上がり始めていたからだ。その頃に支持されていたのが、同社のシーバス用ミノーである『ウェイビー』だった。
広報担当としていち早くそうした情報を察知した平本氏は、早速それをフィールドで試し始めた。すると、それまでクロスからダウンのアプローチでしか喰わなかった魚が、確かにアップストリームでもバイトして来た。彼にとってはそれが大きな発見で、シンキングミノーの重要性を認識することになる。1998年頃の話である。
「ちょうど渓流ミノーイング用のロッドを開発中だったこともあって、それから2年ぐらいは、シンキングミノーの釣りをやってみた。ウェイビーだけじゃなくて、他社のシンキングミノーもいろいろと試してみて、そこである現象に気が付いたんだ」
平本が気付いた現象とは、チェイスして来るのに、途中でUターンする魚の存在。そうした魚たちは、決まってミノーの10㎝ぐらい下でUターンして行く。つまり、タナが合っていない、ということだった。もっとも、シンキングミノーといえども、トゥイッチを掛ければ、徐々にレンジが上がってしまう。かといって、トゥイッチを掛けなければ魚はチェイスしてくれない。そのジレンマに、平本は悩まされることになる。
「いろいろ考えて思ったのは、スプーンの場合には、こうした現象が少ないこと。ほとんどの場合、追っ掛けて来たら喰うんだよね。もしくは、最初から追っ掛けて来ない。スプーンとミノーの違いは、やはりその潜行深度。そこで、もう一枚下のレンジを引けるミノーがあれば、魚はバイトしてくれるんじゃないか、だとすればもっと重いミノーを作ればいい、それがDコン開発の出発点だった」
リメイクの発想から専用ボディ開発への転換
平本氏がまず着手したのは、ノーマルのウェイビーにウエイトを入れ、重くすることだった。ノーマルには2つのウエイトが入っているが、その数を増やしたり、ウエイトを大きくしたり、いくつものヘビーウエイトバージョンを試作した。中にはウエイトを6個も入れ、7gのものまで作ったというから驚きである。
「重くすると確かに沈みは良くなったんだけど、泳ぎは最悪だった。それをカバーするためにアイの位置を調整したり、リップを大きくしてみたり、いろいろやってみたけど駄目。この頃はまだウエイトにタングステンを使うという発想もなかったから当たり前だよね。困り果てて、ジグミノーの『サージャー』にリップを付けてみたりもしたけど上手くいくはずはない。そこで、やっぱり今あるものをリメイクするのではなく、専用ボディを作るしかないなと思ったんだ」
ただし、平本氏にはここで大きな障害があった。それは会社での立場。あくまでも彼は広報担当であって、開発担当ではないからだ。専用ボディを作成するとなれば、会社の許可をとらなければならない。企画会議の席で提案したものの、周囲の反応はとても渋かった。
「そんな重たいミノーで本当に釣れるのか?」
「きちんとアクションするはずがない」
「売れないと思う」
そして何よりも、過去にルアー開発経験がない平本氏には、そんな既成概念を打ち破る新製品は無理だろう、というのが大半の意見だった。
そこで平本氏が取った方法は、まずハンドメイドミノーを作ってみることだった。もちろん、過去にハンドメイドをした経験も彼にはなかった。見様見真似で型紙を作り、バルサを削り、リップを付けた。ウエイトの調整も上手くいかなかったので、後から板状の鉛を貼ってみたり、試行錯誤は延々と続いた。
「生まれて初めてやってみて、全部で5個ぐらい作ってみた。アイを入れられなかったので、マジックで書いたりもしてね。とにかく、この頃は何が駄目なのかということを知りたかった。こういう形にしたら泳がないとか、こういうウエイトの位置は駄目とか、このリップではまだ小さいとか、駄目なものをいっぱい作って、消去法でいいものを作ろうとしたんだね。それが経験のない僕にできる唯一の方法だったんだと思う」
メビウスの輪のような試行錯誤の連続
そうした平本氏の試行錯誤は実に数年にも及んだ。作ってはフィールドを泳がせてみて、また少し改良しては試してみる。テストは彼の自宅からほど近い多摩川や以前訪れたことのある山梨の道志川などで行われた。魚を釣ることよりも、「流れの中でいかに泳がせるか」ということがテーマだった。
そうした膨大な時間の中から、やがてある「形」が見えてきた。それがDコンの特徴ともいうべき「への字」型のシルエットである。重いものを水中で動かすためには、その重心と浮力が一点に集中する形にしなければならない。つまりへの字型にすれば、その頂点に重心と浮力が集中することになり、そこを支点にして左右に動きやすくなる。この発見によって、彼の開発への道は、一気に加速していくことになる。
「普段からルアーの開発をしている人なら、もっと早くに気が付いたと思うんだけど、僕の場合はかなり遠回りしたと思う。でも、この形が決まってからは良い方向へ進み始めた。実際に、それまでよりも格段に泳ぎが変わったんだ」
そんな平本氏の情熱に根負けしたのか、会社側の対応もトライの方向に進んでいた。とりあえず、プラスチックで形にしたものを見せてほしいと言われ、本格的なプロトモデルの制作に取り掛かかることになった。への字型に切断したABS樹脂を貼り付け、ウエイトにはこの段階からタングステンを採用した。
こうして、ようやくDコンの原型が出来上がった。そして、それを見た会社側も、形になったものを見て、不安は多いが平本氏がそこまで言うのならという形で、製品化へのゴーサインを出してくれた。
しかし、平本氏の開発者としての本当の闘いは、実はここからだった。
「アウトラインが決まっても、実際のルアーが出来上がるまでには、詰めていく作業がいっぱいあるんだよね。リップの大きさや形状、接合面の強度とか。それにこんなふうにしたらどうだろうと違う形を試してみたくなったり……。少ないモデルのなかで絞りこんでいく作業が思いの他大変だった」
リップを大きくすると泳ぎは良くなるが、逆に空気抵抗が大きくなり、飛距離の面で支障が出てくる。
ただ、泳ぎを犠牲にするわけにはいかないので、リップをヤスリで削って、今度はアイの位置をいじってみる。そうこうしているうちに、ウエイトをもっと重くしたらどうかと、ややファットなシルエットも作ってみては試してみる。細部を詰めようとすると、他の細部が気にかかり、すでに決めたはずの部分にも立ち戻ることになる。まるでメビウスの輪のように、どうどう巡りの状態が続いた。
「産みの苦しみっていう言葉があるけど、ルアーの開発って本当に大変だなって思った。まして僕には経験がなかったから、よけいに大変だったんだと思う。それで、もう一回原点に戻って消去法で詰めることにしたんだ。そうしたら、やっぱりへの字型のモデルが一番バランスも良かったし、ウエイトも4.5gが5cmのシルエットでギリギリの重さだということが見えてきた。リップも、泳ぎを損なわないということを前提にして、少しずつ小さくしてみて、飛距離とのバランスを考えた限界点を出す。そこまでやって、ようやく一つの形が出来上がったんだ」
このミノーを持参して、平本氏は秋田の米代川支流の小坂川へと出掛けた。すると、2泊3日のスケジュールで、尺ヤマメが1尾、25~28cmのヤマメを3尾、それ未満の魚は10尾近くも釣り上げることができた。
「とっても痛快だったね。スプーンの釣りの時にはこんなに釣れなかったから。特に荒瀬で釣果が出たのがうれしかったね。これまでUターンする魚が喰ったんだよね。自分の考えたことが間違っていなかったことを実証できた瞬間だった」
この時点で、時は2001年の夏、ヘビーシンキングの必要性に気付いてから、実に3年の月日が流れていた。
物作りの答えはフィールドにしかない
そして迎えた2002年、平本氏は発売に向けた最後の微調整を行う。
そのテーマは、アップストリーム用ではあるものの、ダウンやダウンクロスのアプローチで使用した際に、いかに流れから飛び出さないか、という部分だった。
「道志川にある荒瀬で、流れの上流から逆引きするんだよね。そこで飛び出さないようにするのが大変だった。そこまでやる必要はないかもしれないという人もいたけど、僕が目指したのは誰が使っても操れるミノー。ミノーの特徴を理解して、それをアングラーの腕でカバーするようなものは作りたくなかったんだ。渓流ではダウンやダウンクロスのアプローチで釣りをする場面が必ず出てくるから、それにも耐え得るものにどうしてもしたかった」
いくつかのプロトモデルを画板に載せて、次から次へと逆引きしては、その性能を試す。しかし、強い流れの中でバランスを崩すと流れから飛び出してしまう。
その課題をクリアーすべきヒントは、常識にとらわれず何でも試してみるという逆転の発想の中にあった。
「アイの位置を下にずらしてみたんだ。普通はアイを下げると、泳ぎが暴れてしまって逆に飛び出しやすくなるんだけど。上に持っていっても駄目だったんだ。そこでとりあえずやってみようと下に持っていった。そうしたら飛び出さなくなったんだ」
こうして、Dコンタクトはようやく完成にいたったわけだが、平本氏が行った最後の作業は、その製品名をどうするかということ。これにもだいぶ苦労したようだ。
「最初に浮かんだのはDだったね。Dはいろいろ意味があるんだよね。ディープ、ディレクション、ディスタンスとか。でもコンタクトがなかなか出てこなかった。で、自分の渓流釣りのことを考えたんだ。そうしたら、思い浮かんだのが『出会い』。渓流ってまさに出会いじゃない。魚とも、景色とも。その時そこに行かなければ会えない魚や景色があるから。そこでコンタクトにしたんだ」
かくして、2003年の春、Dコンタクトは満を持して発売されたわけだが、その以降のことは今さら語るまでもないだろう。このミノーは、ユーザーから圧倒的に支持を受け、ヘビーシンキングミノーは、その後のトラウトルアーの流れを一気に変えてしまった。
あれから10年、当時のこと振り返りながら、平本氏は言う。
「やっぱり物作りのヒントは常にフィールドのなかにあるんだよね。机の上に座っていても、いいアイディアは決して生まれてこない。あとはそれを形にするための情熱かな。ありふれた言葉かもしれないけど……。その情熱を支える自信も、フィールドにあるんだ。自分の目で見て確かめたことだからね。あの時僕が挫けなかったのもそこだと思う。でも本当に良かったと思っているよ。形にすることができて。これからもあの時の気持ちを忘れないようにして、新しいものを作っていきたいと思う」
Gijie2013春号掲載
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